2012年6月21日木曜日

プレ父の日

父の日の前日、旦那さまが休みで、両親と一緒に夕飯を共にし、両親の子育て論を聞いていた。

甥っ子の小学校の先生の話から、私の小学校の時の先生の話となり、5、6年生の時にいじめられた時の話になった。

もう30年以上のこと。まだ「いじめ」という問題があまり取り上げられていないころだった。もうほとんど覚えていないけど、当時は相当つらかったらしい。

クラスメートにいじめられたのもあったけど、担任の先生も若くて相性が合わなかったのがもっとつらかったのを覚えている。ホームルームの時に話を聞きながらちょっとノートにいたずら書きをしていたら、「ノートには何にも書くなと行っただろう」と怒鳴られて出席簿で思いっきり殴られた。守ってくれ、相談できるはずの人が自分を攻撃してくる行き場のない状況をどうやって乗り越えたのか?

どのくらいいじめられた期間があったのか覚えていないけれど、ある日突然いじめていた子たちが謝ってきた。どうしてなのかびっくりしていたら、後で母がその日私の忘れ物を届けてくれて彼女たちと話したらしいということを知り、家に帰ってから、母に何を話したのか聞いた。

すると母は「いつも文絵と仲良くしてくれて有難う。これからもよろしくね。」とだけ言ったと答えてくれた。

自分をいじめている人たちを攻めるのではなく感謝した母の行動に私はびっくりした。

たぶん、母は作為的にそうしたというより、それしか言えなかったのかもしれないが。相手を攻めることをしないで、その良心を攻め状況を変えたその深い知恵にたった12歳だったけれど、私は感動した。

もうほとんどあの頃の出来事を思い出すことはできないけれど、母が私にしてくれたことは今でも決して忘れない。

そして、今回は、その頃の話をする中で、私がそのいじめを体験している最中、どれだけ両親が葛藤し悩み苦しんでいたのかを再確認する。子供のわたしは、母がしてくれたことしか見えていなかったけれど、その背後に父の存在があったことを知らされる。父は「何度も怒鳴り込んで行きたくなった。でも同業者だからこそできなくて、それがつらかった。」と目を赤くしてその時のことを語る。

わたしがあの経験でつぶれてしまわなかったのは私の見えないところで葛藤し悩みながらも見守り支えてくれる存在がいたからだと思う。

それは今になってようやくわかったこと。

これからは私の番だ。

それにしても、これを父の日の前に振り返り、感じることができてよかった。
お父さんありがとう。

Happy Father's day ♡