彼女とは大学院を卒業したての時に出会った。
12歳も年上だったが、とても若く美しい人で、3つぐらいしか離れていないような人だった。
姉妹のように過ごし、彼女から、沢山のことを学びそして与えてもらった。彼女の言動だけではなく、服装まで影響を受けていたときもあった。
わたしがシンガポールに行った頃から、彼女がアメリカに行ったのもあり、また、考え方の相違が少しずつ生まれ疎遠になっていった。
だから、彼女が病に冒されていることも風のたよりで耳にするだけでどうなっているのかは具体的にわからないままだった。
しかし、きっと彼女は自分の信仰と信念を貫いて、医療処置をほとんどうけず天に召されて行ったに違いない。
火曜日から今日まで、教会では彼女のための祈りが捧げられていた。
彼女は多くの人に影響を与えてきたと思う。
ジャーナリストの千葉敦子さんの講演記で「よく死ぬことは、よく生きることだ」(文春文庫)があるが、彼女は「自分の人生をどう生きてきたかがどう死ぬかを決定するのだ」と言っている。
私たちの多くは自分がいつか死ぬということが現実のものだということに目をそらして日々生活しているが、それは必ず訪れる。
「わたしはどう死ぬか?」
大切な人が増えたからこそ、そのことをもっと考えなくてはいけないと、彼女の死をとおして、幼子を抱きながら思う。
Yさん。沢山の愛をありがとう。
Yさん。沢山の愛をありがとう。
f.